いらっしゃいませ。
ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日はそういえば最近は本のジャケ買いをしなくなったRが店番です。
引きこもり生活ももう1年以上になってしまいましたね。以前は少し抵抗があった通販もすっかり日常になり、近頃は野菜さえお取り寄せです。重い大根やキャベツ、有機や無農薬に近い状態で作られた希少な野菜が家まで届けられるのは嬉しいけれど、これでは小売店はどうなってしまうのか……とジレンマを感じます。
私が仕事としている本の業界でも、自粛生活で本を読む人が増えたなどという話がありますが、人が本を購入するのはネットばかりで、リアルの書店がどんどん閉店しているという悲報も聞こえてきます。でも、一方では今までのスタイルにこだわらず、店主が自分の眼鏡にかなった本を新刊・旧刊問わずに揃えているセレクトショップ的な書店も増えているような気もするんですよ。何でもかんでも一概に嘆いてばかりもいられませんね。
ネットでものを買うのは便利ですが、偶然の出会い的なものがないのは寂しい感じがします。目的の本を探しに書店にいったら、その隣に面白そうな本を見つけて、それまでは知り得なかった世界への扉が開かれるとか。リアルな書店はそういう思いがけない出会いがあるからいいんですよ。いわゆるジャケ買いです。お客様は、本のジャケ買いしますか? 本が一生懸命自己主張しているような本は、思わず手に取ってしまいませんか?
そんな装丁の力を感じるのがブックデザイナーの平野甲賀氏による作品群です。名前を聞いたことがなくても、この独特な書き文字によるタイトルが踊る装丁は、目にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
書き文字っていうのは活字より表情がだしやすい。とくに漢字ね。漢字というのは表意文字でしょう。たとえば「犯罪」という字は、活字で見ても、いかにも犯罪っぽい顔だちをしている。でも、書き文字だったら、もっと犯罪らしく造型できる。恐ろしさとか禍々しさとかを、たっぷりそこにもりこめる。そういうふうにして、イラストレーションというか、絵文字のように書き文字を書いていたわけです。
『平野甲賀【装丁術】好きな本のかたち』(晶文社)より
平野氏は、美術大学を卒業後、高島屋宣伝部を経てフリーとなり、1964~1992年まで出版社の晶文社の装丁を一人で一手に担ったという強者です。2018年時点で晶文社以外の出版社のものも合わせると、その数7000点以上。
よく仕事の量が多すぎると言われます。3日に1冊。1年に百数冊。多すぎますか?
――今の日本は本をだしすぎじゃないかという気もする。恩地孝四郎さんの有名なことばに「本は文明の旗だ」というのがあるけれど、その旗ふりのひとりとして、もうすこしなんとかしたいと思わないでもない。
「文明の旗」。これは、本を作ることを生業にしている私などには、ずしんと重く響く言葉ですね。旗ふりのひとりとしての自覚を促されているような気がします。
――装丁が本と読者をつなぐんじゃない。本と読者をつなぐのはあくまでもその本の中身だと思う。装丁は、ちょっとしたサービス。ぼくができることといったら、その出版社がある感じを持って本を出しつづけている――その動きをサザナミみたいに、できるだけ気持ちよく表現していくことぐらいじゃないかな。
と語る一方で、
――書かれたものよりも、書いた人のことが気になるたちです。だから担当の編集者に、その著者がどんな人か、根掘り葉掘りきくんです。考え方や職業や年齢や生活態度といったことはむろん、その人のちょっとしたエピソードや癖なんかもね。その人がいまなにを面白いと思っているかということがいちばん気になる。そういう著者の生き方がどこかに反映しているデザインでなければしようがないと思う。
このようなことを考えながら3日に1冊のペースで装丁の仕事を仕上げていた時期もある平野氏は、まさに超人といえますね。その過程に思いを馳せながら本を眺めてみると、著者の違った声が聞こえてくるものなのかもしれません。つい本業に関することなので、また今夜も語りすぎてしまいました。梅雨に入ってじめじめした夜は、やはりビールでしょうか。ラベルをリニューアルしたビールが入っているので、いかがでしょうか? このラベルからは何が語られるのか。今夜もどうぞごゆっくり。
【今回紹介した本】
平野甲賀『平野甲賀【装丁術】好きな本のかたち』(晶文社 1986年刊)
ブックデザイナーとして多大な功績を残した平野甲賀氏が、装丁の仕事をどのように進めていくのか。最初の打ち合わせから仕上がりまで、本作りの実際に関して克明に語る1冊。作品も多く掲載されていて、何にこだわり、何を表現したのかがわかる。
文:R