きょうこそナポリタンにしようと思った。
「ご注文は?」
「あっ、えっと・・・カレーライス」
「大盛り?」
「お願いします」
こういうことだ。
そして、いつものようにおいしくたいらげて仕事場に戻る。
「おー、なに食ってきたんだ?」
「カレーです」
「またぁ?“麦”に行ったんじゃねぇの?」
先輩がいつものようにイジってくる。本郷三丁目にある“名曲・珈琲 麦”は、自分のランチのいつもの店になっている。
「いや確かにあそこのカレーはウマいけどさ。喫茶店に行って食うものって言ったら、お前、ナポリタンだろうよ」
「あっ、俺、きのう無性にナポリタン食べたくなって地元の喫茶店行っちゃいました」
後輩が口を挟む。
「だろう?」
「そういえば俺、この前『麦』行った時、気になっていたメキシカンジャンバラヤって頼んでみたんですよ」
「どうだった?」
「ウマかったですよ。あそこ、メニューがたくさんあるから、色々チャレンジするのが楽しいんですよね。今度、ピザトースト食ってみようかなって思ってるんですけど」
つまり、こういうことだ。
いつもの店、いつものメニュー、それをいつものようにたいらげる。安月給で払うランチで失敗したくない。それもある。ルーティーンの中で裏切られたくない。それもある。とは言え、結局は『冒険心』、それがないんだろう、自分には。
喫茶店でのランチひとつ取っても、選ぶものはいつも通り。仕事終わりも、いつもの地下鉄に乗り、いつものコンビニで弁当とビールを買い、いつものようにベッドに寝転びネット動画を見て、いつものように寝る。そんな日々に不満はなかった。だから、いつも通り。『こういうことだ』とは分かっていたものの、そこに居心地の悪さは感じなかった。

「戻りました」
「お帰りなさい。きょうはどこで食ってきたんですか?」
「麦」
「えー、好きですねー」
「で、またカレーか?」
「はい」
「つまんねぇやつだな。まぁいいや、ちょっと来い」
自分は小さな印刷会社で営業をしている。営業先の依頼で会報やら冊子を作ることもある。
「これ見てくれないか」
先輩が指さしたパソコンの画面には、自分の営業先が隔月で発行している会報のレイアウトが出ていた。そのレイアウトがいつもと違っていた。
「ちょっといつもより文字数が多くてな。それに写真も多い。で、今回、レイアウトの変更を提案してみようかと思ってるんだけど、どう思う?若干変わってるけど全体のテイストは変わってないし、こっちの方がすっきりしてると思うんだが」
確かにそうだった。
「いつものパターンだとこっち。比べてみると詰め込みすぎてる感じがするだろう」
「でも、広報の方がいつものレイアウトを気に入っていらして・・・」
「あの人意外と堅物だからなぁ。でもさ、ちょっと提案してみないか?」
「えっ、自分がですか?」
「当たり前だ。担当はお前だろうよ」
ドンと背中を叩かれた。

通された部屋には、いつもの広報担当一人ではなく、きょうに限ってなぜか上司らしき人物も同席していた。いつものレイアウトと、違うレイアウト、二つを差し出す。
「あの、いつものレイアウトを気に入っていただけているのは重々承知しているのですが、今回は文字数や掲載したいとおっしゃる写真もいつもより多く、全体のバランスを考えて、こちらのレイアウトもご提案できればと思いまして・・・」
二人は黙ってレイアウトを見比べていた。沈黙の時間は恐らく1分もなかっただろう。それでも太ももに置いた手の汗が滲み、スラックスの生地をじんわりと濡らしていた。
「あの、いつものがよろしければ、そちらで進めさせていただきますし、無理にいつものレイアウトを変える必要はないんですが・・・」
「いや、こっちの新しいレイアウトでいこうか」
担当は笑顔で答えた。
「よろしいんですか?」
「うん、いいんじゃないかな。これ、読みやすいね」
同席の人物も満足げな様子だった。
「この会報も長いからね。たまにはこういう小さな冒険も必要だろう」
「小さな冒険、ですか・・・」
「いや、御社とは長年やり取りさせてもらってるから、つい『いつもので』とお願いしたくなるし、こちらとしてはそっちの方が楽なんだけど、どうしてもルーティーン化してしまうからね。それだと味気ないじゃないですか、読者も我々も。たまには部屋の風を入れ替える気分で、こういうことしてみるのも悪くないんじゃないかな」
「そうですね、いい提案してもらってよかったです。今回からこちらのレイアウトで。よろしくお願いします」
自分がここを担当して、もう2年以上になる。隔月に訪れる際にも温かく迎えてくれている。ただ、広報担当のこんな軽やかな笑顔は久々に見た気がした。

営業先を後にし、いつもの地下鉄で会社に戻る。時計を見るとちょうど昼時。いつものように営業終わりの連絡を入れ、デザインの件、そしてランチを食べてから戻ることを伝えた。そして、この日もいつものように“麦”に向かった。


「戻りました」
「おつかれさん」
「お疲れ様です。きょうはどこで食ってきたんですか?」
「麦」
「えー、本当に好きですねー」
「で、またカレー食ってきたのか?つまんねぇやつだな」
「・・・いいえ」
「ん?」
「きょう自分・・・ナポリタン食ってきました」
「えっ?」
先輩と後輩は思わず顔を見合わせた。
「・・・で、どうだった?」
「はい、ウマかったです!」

文:けいたろう