BB坂ノ途中 変態読書のススメ

第44回 サヨナラダケガ人生ダ

いらっしゃいませ。

ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。

ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日は、本棚を片付けるとかならず古い本を読みふけってしまうKが店番です。

すみません、散らかしていて。ちょっと本棚の整理をしていたんですよ。あ、その椅子の上に置いてある本、読まれたことありますか。片付けの最中についつい読みふけってしまって置きっぱなしにしてしまいました。

伊集院静さんの「大人の流儀」という人気シリーズの7作目、『さよならの力』、表紙がきれいな色でしょ? 大人の流儀は週刊誌に掲載された伊集院氏のエッセイをまとめたものですが、凄い人気なんです。もう10年以上前の話ですが、この連載を読みたくて週刊誌を6週間にわたって万引きしていた男性が逮捕されたなんてニュースもありました。万引きはいけませんが、そうまでして読みたくなる力が、伊集院氏のエッセイにはあるんですよね。

タイトルの通り『さよならの力』には伊集院氏が実際に経験した別離にまつわる話がいくつも描かれています。誰だってできれば、悲しい別れなんてしたくないですよね。でもだからといって避けて通れないのが、近しい人との永遠の別れ。その別れについて本の中にこんな一節があります。

「二十歳の時、十七歳の弟を海難事故で亡くした折、なぜ弟だけが、どうして弟でなくてはならなかったのか、とたいがいの人が考えることと同じことを考えてしまったのだ。ところがやがて、弟だけに、父や母だけに、私にだけ降(ふ)り下(お)りて来たものではないのだとわかるようになった。実は同じことが、日本だけでさえ、そのような不幸が多数の人に降り下りて来ていることを知ったからだ。

『さよならの力』伊集院静(講談社)より

私ごとで大変恐縮ですが、20代の後半、大好きだった祖父、優しかった叔父が二人、そして実母が相次いで病気で亡くなりました。当時の私は「なぜ私だけがこんな目に遭うんだろう」と、いわゆる悲劇の主人公のように感じていたわけです。でも伊集院氏のおっしゃる通り、自分だけが不幸だなんて、おこがましいと今なら思えるんです。

たとえば親が生きている時、「そういえば母親があんなこと言ってたな」と、いちいちその言葉を思い出す機会ってなかなかないと思うんです。でも、「母なら、こんな時、きっとこうしただろうな」「こんなことで弱ってたら祖父に叱られるな」「叔父なら、笑い飛ばしただろうな」と、死者の言葉や姿はことあるごとに思い出され、私に力を与えてくれる気がします。むしろ、自分は不幸ではなく、そうした力をもらえるのだから幸せだとさえ思える時があるから不思議です。実は同じようなことがこの本にも書かれていました。

「私は、これまでの短い半生の中で、多くの人との別離を経験してきた。彼等、彼女たちは、私にサヨナラとは一言も言わなかった。それでも歳月は、私に彼等、彼女たちの笑ったり、歌ったりしているまぶしい姿を、ふとした時に見せてくれる。その姿を見た時、私は思う。“さよならも力を与えてくれるものだ”(中略)人の出逢いは、逢えば必ず別離を迎える。それが私たちの“生”である。生きていることがどんなに素晴らしいことかを、さよならが教えてくれることがある。」

『さよならの力』伊集院静(講談社)より

実は10年以上前のことですが、ある文学賞のパーティーで伊集院氏をお見かけしたことがあります。その場にいるだけで、誰もが目を引かれるようなオーラを放っていたのが印象的でした。あのオーラは背が高いとか(実際、伊集院氏は身長が180センチほど)、ハンサムだとか、おしゃれだといった外見的なものではなく、伊集院氏が経験したいくつもの「さよなら」が生み出したものなんじゃないでしょうか。さよならは、生きる力にもなると同時に、その人の深みのようなものにも繋がるのかもしれません。

長々と「さよなら」なんて湿っぽいテーマでお話しをしてしまい、申し訳ありません。実は、当店は諸般の事情により本日で閉店となるんです。短い間でしたが、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。最後にお客様と「さよなら」ができてよかったです。

そうそう、今ご紹介した『さよならの力』に、私が好きな詩が紹介されているんです。中国の「勧酒」という詩を井伏鱒二が訳したものですが……。

コノ盃を受ケテクレ
ドウゾナミナミ注ガシテオクレ
花ニ嵐ノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

見事なものである。酒呑みにとって、呑む理由はどうでもよいのだが、そこに友との惜別が、人生の別離があれば、その酒は文句無しに味わいがでる。

『さよならの力』伊集院静(講談社)より

今日は大切なお客様との別離の酒、私も一緒に一杯飲ませていただきます。きっと何を呑んでも美味しくいただけると思いますが、伊集院静氏の小説『琥珀の夢』にちなんで、ウイスキーといきますか。今まで、ありがとうございました。また、いつかどこかでお目にかかれることを願って、乾杯!

【今回紹介した本】
『さよならの力』伊集院静(講談社)

ベストセラーシリーズ「大人の流儀」の第七弾。「大人の流儀」といえど、大人とはこうあるべき、別れとはこういうものだ、などといった押しつけがましい内容ではない。ときにユーモアたっぷりに、ときに社会に対する批判的な視点で、またある時は自戒を込めて。さまざまなテーマを伊集院氏ならではの視点で綴った1冊。

文:R