こんばんは。
ようこそBookBar坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日は酒とミステリーを愛するKが店番です。
すっかり秋らしい気候になりましたね。まずは何を飲まれますか?「僕はビール?」、ああビールですね承知しました。ところで、お客様はご自分のことを「僕」とおっしゃるんですね。いえ、決しておかしいということではないので気に障ったらすみません。
実は、今ちょうどある面白い本を読み返していたので、皆さんがご自分のことをなんていうのか気になってしまうんですよ。どんな本かご興味ありますか?
それは逢坂剛さんの小説です。逢坂剛さんと言えば、西島秀俊さんが主演した刑事ドラマ「百舌(もず)シリーズ」の原作者として有名ですよね。「百舌」はハードな内容のサスペンス小説ですが、私が読んでいる『相棒に気をつけろ』は、遊び心あふれるユーモアたっぷりの小説です。
ハッタリや巧妙な話術でお金を稼ぐ「世間師」と言われる男が主人公で、一人称で綴られていきます。一人称の小説というのは地の文(台詞以外のところ)が、小説に登場するある特定の人物の「俺はある日…」などという語り口で描かれるスタイルのことですね。
ところがこの小説は地の文に一度も「俺」や「僕」という一人称代名詞が出てこないんです。さらに他の登場人物に対しても人称代名詞と言われる「彼女」や「彼」といった単語も使っていないんですよ。これは相当な技術がないとできないことなんです。なぜ逢坂さんがそんなことをしたのか。本の解説によると、作家としての緊張感を保つためにこうした「しばり」を設けて執筆されたんだとか。
言うのは簡単ですが、人称代名詞を使わずに小説を書くのはかなり大変ですから、普通の作家はわざわざこんなことをしないと思います。実際、私はこの作品以外にそういう小説を読んだことがありません。
逢坂さんはこの作品以外にも読者が気づかないようなある人称の工夫をこらした小説を書いています。読者が気づくはずもないのにそんな苦労をするなんて変態だって?いえいえ、読者は地の文に「俺」や「僕」を使っていないことには気づかないかもしれませんが、それは作品に思いがけない効果を生んでいて……ああ、ネタばれになるので今日はこのあたりでやめておきましょう。
そうそう『相棒に気をつけろ』の中に、日本酒好きな男が酒の魅力に抗えずに主人公たちに騙される話があるんですよ。今夜はいい日本酒が入っているのでいかがですか?決して私はお客さんを騙したりしませんからご安心を。
【今回紹介した本】
逢坂剛『相棒に気をつけろ』集英社文庫
怪しげな訪問販売の傍らで、あくどい商売人から金をかすめ取る「世間師」の男。名前は仕事の数だけある。そんな彼がある時、豊満な肉体を持つ謎の美女と出会う。彼女は男と同じ世間師で、ふたりはコンビを組むことになる。しかし彼女は男よりも一枚も二枚も上手で……。卑劣な痴漢や地上げ屋相手に罠を仕掛けるコン・ゲーム小説!一気読み間違いないの痛快作品。
文:K