いらっしゃいませ。
ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日は最近いろいろ腹を立てることが多いなと反省しきりのRが店番です。

9月の声を聞いた途端、一気に気温が下がり雨の多い日が続いています。通常ならこれから読書の秋だとか食欲の秋だとか、落ち着いた季節に入るはずなのですが、なかなか世間的には騒がしいですね。騒がしいと言えば、最近気になるのが、ネットでのいわゆる炎上。誰でも気軽にネットで意見を発信し、それを大勢の人が目にできるようになったせいかもしれませんが、目に余るものもあります。

先日たまたま耳にしたラジオで、ある人が「どのような意見を持つのかはその人の自由だけど、他人の所にまで行ってそれをぶつけるのはどうかと思う」というようなことを言っていました。正確な文言まで覚えていないのですが、妙に腑に落ちたんです。他人のテリトリーであるSNSに出かけて行って、自分と考えが違うからといって誹謗中傷の類を投げつける。現実社会では“空気を読め”とか言うくせに、なぜネットのような仮想空間ではそんなことになってしまうんでしょうか。

“私はこう思う”と言って相手にそれを押し付けることと、“私はそうは思わない”と何らかの押し付けに抵抗することは一見、同じように思えて全く違うことなのかも知れないと思ったのは、あの名作『100万回生きたねこ』の著者でもある佐野洋子さんのエッセイ『私はそうは思わない』を読んだからです。

本を読んでもテレビを見ても、私は「私はそうは思わない」と思い続けて生きてきた。先日、グリム童話の研究をしている人の本を読んだ。その中で「子供は主人公と一体となって、その運命を生きるものである。であるから、例えば白雪姫の母親に最後に焼けた鉄の靴をはかせて死ぬまで踊らせるような残酷な部分は、親が配慮してはぶいた方が好ましい。子供には主人公が幸せになる満足感だけをあたえてもよいのではないか」という意味のことが書かれていた。
「私はそうは思わない」と例によって私は思うのであるが、今四十七歳の私がそう思うのではないような気がする。シンデレラの話を初めて読んだ時から、私は、私はそう思わないと思うところが、いくつもあったのである。
(中略)私を救ったものは、「私はそうは思わない」という素直でないものだった様な気がする。

(佐野洋子著『私はそうは思わない』より)

この佐野さんを救った「私はそうは思わない」は、息子さんにも受け継がれたらしく、彼が子供の頃、アンデルセンの「みにくいあひるの子」を読んであげたら、「何で、白鳥の方が良いんだよ。あひるに悪いじゃんか。あひるはあひるとして立派に生きていけばいい」と言い、佐野さんを感心させたそうです。

「私はそうは思わない」というのは、「私はこう思う」というのと少し違う。その少しの違いが、やはり大きな違いであった。
我が子が「私はそうは思わない」と思う人である時、親は情けないものであるが、仕方ないのである。勝手にさせるより仕方ないし、勝手にしかならないのである。

(佐野洋子著『私はそうは思わない』より)

最近、よく言われる「多様性」という言葉。それは、こんな白鳥とあひるに対するような、さまざまな考え方にも言えることなのかも知れませんね。そんなことを考えながら、今夜はクラフトビールの多様性に思いを馳せてみましょうか。何年も寝かせなければいけないウイスキーのようなお酒と違って、気軽にいろいろな味を作り出すことのできるクラフトビール。なんとこれは、最近話題の台湾のスパイス「馬告(マーガオ)」と、日本の焼酎作りに用いられることの多い「白麹」をビールに使ったもの。柑橘系の爽やかな酸味で気分もすっきりしますよ。今夜もどうぞごゆっくり。

【今回紹介した本】
佐野洋子著『私はそうは思わない』(ちくま文庫 1996年刊)

「この世はみにくく、めちゃくちゃでくそいまいましいが、しかし限りなく優しく美しくおごそかに、襟を正してひれ伏したい程すばらしい」という著者ならではの視点で、日常のさまざまな事柄を語る。こんな時代だからこそ、言いたいことはきちんと言い、きちんと怒ることの大切さがわかる痛快エッセイ集。

文:R