「聖橋門から入り大成殿を左手に見て、
 そのまま堀に沿ってまっすぐ進む、と」
送られてきたメッセージを確認しながら石畳を歩く。
連なる木々は、深まる秋の色に染まりはじめていた。
「左手にある大きな木……
 案内板があるからすぐ分かるはず、か」
葉擦れの音に紛れて電車の音が聞こえる。
そんな音、あの時は気がつかなかったな。
思い出を辿りながら石畳を下っていくと、
“俺はここだよ”とでもいうように
大きな樹冠が通せんぼをしていた。
「これか」
大木の下、少し開けたところに
メッセージの通りに案内板が立っていた。
「とねり……ばは‥ぜのき」
読めば、“楷(かい)”という木で、学名“トネリバハゼノキ”。
中国にある孔子の墓に植えられているものらしい。
そう言えば、彼女もそんなことを言っていたような気がする。
でも・・・。
「これを撮って送れ、って言われてもなー」
見上げれば、太い幹から伸びた枝は縦横無尽に生い茂り、
秋晴れの陽の光を閉ざすほどの豊かな葉が重なっている。
これはデカいな。さて、どう収めるか。
カシャ、カシャ、カシャ。
スマートホンのチャラチャラしたシャッター音が、
大木の悠々とした葉擦れの音の中に虚しく響く。
安請け合いしたはいいが、なかなかに手ごわい。
パノラマ、動画・・・思いつく方法で収めてみる。
ふー。
「これでいいか」
会心、とまではいかないが、とりあえず体裁は整っている。
写りの良い写真をいくつか、それと動画も合わせて送信。
するとまるで待っていたかのように、すぐに既読がついた。
『そう、これこれ!動画も撮ってくれたんだ!嬉しい!』
4年前、彼女は故郷に戻った。
ここ、湯島聖堂は、
彼女が故郷に戻る少し前に、ふたりで訪れた場所だった。
上京してきて近くの医学部で学生時代を過ごし、
そのまま近くの病院勤務となった彼女にとって、
都会の真ん中で見つけた癒しの場だったらしい。
特に、この楷の木の下はお気に入りだったらしく、
葉擦れの音を聞きながら何時間も過ごしたという。
その彼女からの久しぶりメッセージは、
この木を写真に撮って送って欲しいというものだった。
『懐かしいなー。この木、変わらないなー』
『こんなにデカいとは思わなかったよ。
 写真に収めるの、大変だったぞ』
『だよね。ありがとう』
『なんで急にこの木が見たくなったんだ?』
『ん、なんとなくー』
『なんかあったのか?』
『そう聞いてくると思った(笑)』
『どうした?』
『まあ40年も生きてると、女も大変なんだよ、色々と』
付き合っていた時も、彼女はあまり弱さを見せなかった。
故郷に帰ることを決めたときも、俺には事後報告だった。
彼女はその時、すでに別れることを決めていた。
そして、彼女はひとり、故郷に帰った。
『仕事は順調なのか?』
『もぉてんやわんやよ!東京と違って医者が少ないから
 ゆりかごから墓場まで、全部面倒みなきゃいけないし』
『墓場まで、って医者が使う言葉か?(笑)』
『そういうことまでちゃんと見届けてあげなきゃいけない、
 ってことよ(笑)』
『そうか(笑)』
『そっちは?あいかわらず、海外行き来してるの?』
『今年はご時世だから、あんまりだな』
『あっ、そうねー』
『その分、海外の時間に合わせてウェブ会議が入るから
 夜中に出社しなきゃいけないとかあるから体がキツい』
『無理しちゃダメよ。疲れてくると免疫力が下がるから、
 ウイルスへの抵抗力も無くなるからね』
『そうだな、気を付けるよ』
少し間を置いて尋ねた。
『旦那は?』
葉擦れの音がざわざわと響いた。
『元気よ。あっちも、てんやわんやよ』
そうか…。
『医者同志なんだから、お互い感染とか気を付けろよ」
『そうなのよ!田舎だから、特にいま、
 医者夫婦ってだけでも風当たりが強いのに、
 なっちゃったらもう村八分よ、村八分!怖いわよー。
 そうしたらもう、東京に戻るわ(笑)』
たわいもないメッセージのやり取りに
ふっと笑みが零れる。
不思議だな、別れた彼女とのやり取りのはずなのに。
見上げれば、秋晴れの陽の光が優しく差し込み、
葉擦れの音が悠々と、そして心地よく響いてくる。
『そろそろ帰るよ』
『あっ、ごめん、写真ありがとう。
 またメッセージしてもいい?』
『いいよ。旦那にバレないようにな(笑)』
『なに言ってんのよ!浮気じゃあるまいし!』
『はは、そうだな』
葉擦れの音が一際ざわざわと大きく響いた。


『じゃ、元気で』
『あなたもね』


石畳を聖橋門に向かってゆっくりと歩く。
ふと振り返ると、
“私はここだよ”とでもいうように
大きな樹冠が通せんぼをしていた。
楷の木は葉擦れの音を悠々と響かせていた。
その下に、ほんの一瞬、彼女の姿が見えた気がした。

文:けいたろう