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ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日は実は密かに時代小説も好きなRが店番です。

時代小説や時代劇が好きだなんて言うと、年寄りくさく思われてしまうのが悲しいですね。「水戸黄門」や「遠山の金さん」とか一時はすごい人気を誇っていた時代劇のドラマも、最近はほぼなくなってしまっています。これもきっと主な視聴者が高年齢層で、スポンサー的には出資しても無駄と考えるからでしょうか。

時代小説と言えば、私の好きな作家は何と言っても池波正太郎。ドラマ化もされている「剣客商売」「鬼平犯科帳」など人気のシリーズもので知られています。実は以前このシリーズものや他の池波作品を読んで紹介文を書くという仕事をしたことがあって、何しろ「剣客商売」が文庫本19冊、「鬼平犯科帳」が24冊と、量が半端ないですから、結構苦労しました。

でも、そんな仕事をさせてもらったおかげで、時代小説の面白さに出会えたのはよかったなと思ってます。剣の達人や、盗賊を取り締まる火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長官などを主人公に、さまざまな人間模様が繰り広げられることも興味深いのですが、私の場合、読んでいると必ず欲しくなるものがあるんです。それが「酒」。ついつい台所へと足を運んで茶碗に一杯。「こいつが、なんともやめられねえ…」。なんて、あ、思わず登場人物になりきってしまい、失礼しました。

この夕暮れからふりはじめた雪はやむことなく、翌朝、梅安が目ざめて見ると、すでに厚く積もっていた。
百姓の女房が帰ってしまった昼過ぎになってから、梅安はようやく起き出した。
居間に切ってある囲炉裏へ、うす口の出汁を張った鉄鍋をかけ、中へ輪切り大根と油揚げを細く切ったものを入れ、これがぐつぐつと煮え出すのを小皿へとって、さもうまそうに食べつつ、梅安は酒をのみはじめた。
(さて、どうするか、な……?)

(池波正太郎『殺しの四人 仕掛け人・藤枝梅安(一)』講談社文庫)

これはテレビドラマの人気シリーズ「必殺仕事人」の原型になったとも言われる「仕掛人・藤枝梅安」シリーズの中に出てくる一節です。この梅安という男、表向きは鍼医師の顔をしながら、裏では依頼人に金をもらって人を殺める。そんな昏い暮らしを送る一方で、酒が好きで、こんな風に茶碗に酒を注ぎ晩酌を楽しんでいるというのが、人というものの割り切れなさとでもいうか…。しかも、この(さて、どうするか、な……?)とは、これから自分が手がけることになる人殺しについて、どうするか…と思案しているのですから、ちょっと背筋の寒くなる話です。

このように、魅力的な食のシーンが多いのは、もしかすると池波さんが食べること、飲むことが好きだったからなのかもしれません。都内のみならず地方にも、取材で訪れた際に懇意にした飲食店があることが知られています。また、人気作家だけあって、数本の連載を掛け持ちしていた時期も長く、家に籠もって執筆を続ける中でも晩酌は欠かさず、その日に食べたものを日記に記録していたらしいです。

私は、決してぜいたくをいわぬが、なにしろ、家に引きこもって数日間、仕事をしつづけていると、食べることだけが唯一のなぐさめになってしまう。私が書いている時代小説というものをたとえていえば、
「今日は、姉川の戦場に大軍をひきいて戦う織田信長を書く」
そして、
「明日は、江戸の町の片隅で、その日暮らしをしている叩き大工を書かねばならない」
のであるから、気分を転換させることが実に骨が折れるのだが、自分では気づかぬことだが、家人に言わせると、信長のような英雄を書いているときは、むずかしい顔をして威張っているらしい。

(池波正太郎『食卓の情景』新潮文庫)

時には戦国の武将、時には江戸の市井の人の姿を、身を削って描く作家が家の中にいるとは、どんな感じでしょうか。「気分転換」になる食事を毎日用意していた夫人のご苦労が想像できます。でも、だからこそ、池波作品の随所に食事がより魅力的に描かれ、ファンも多く、その作品の食だけを取り上げた本が刊行されるまでになったのでしょう。池波さんが好きだったからなのかどうかはわかりませんが、藤枝梅安はよく大根を使った料理を口にしています。4月にしてはちょっと肌寒い今夜は、大根と油揚げを小鍋立てにしてみました。ぬる燗と共にいかがですか? 今夜もごゆっくり。

【今回紹介した本】
池波正太郎『殺しの四人 仕掛け人・藤枝梅安(一)』(講談社文庫 2001年刊)

品川台町に住む鍼医師・藤枝梅安。表の顔は人々を救う名医だが、裏の顔は生かしておいてはためにならない者を金を受け取って葬り去る仕掛け人。その梅安と相棒の彦次郎の活躍を痛快に描く人気シリーズ第一巻。残念ながら著者が病によって亡くなったため、第七巻までで未完で終了している。

文:R