いらっしゃいませ。
ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日は本に紐の栞は不要派のRが店番です。

大型連休もあっと言う間に終わりましたね。この時期は、いつもだったら何となくエンジンがかからないような、ちょっとした脱力感を味わうものですが、例のものが世界中に蔓延するようになってからは、ずうっとぬるい時間が続いているように感じているのは私だけでしょうか? どうせ出かけられませんしね、時間があるからと読書をした方、長編作品に挑戦した方もいらっしゃるかもしれませんね。

長編作品と言えば、2016年惜しくも急逝された漫画家・吉野朔実さんが雑誌「本の雑誌」で連載していたコミックエッセイに「私はこれを“読み切った自慢”」というタイトルの作品があります。吉野さんは文学にも造詣が深かったようで、このエッセイはさまざまな作品を独特の視点でとらえて大変面白かったんですよ。以前、他人の本棚を見ることについてお話をしたことがありましたが、そんな他人の本棚についての吉野さんの思いが語られた作品もあります。

ある程度本数がまとまったところで単行本化されたものが8冊。死後にそれらをまとめたものにシリーズ未収録のものを合わせた『吉野朔実劇場ALL IN ONE 吉野朔実は本が大好き』が刊行されました。で、話を元に戻して「私はこれを“読み切った自慢”」です。〈男性編〉と〈女性編〉にわかれていて、吉野さんは周囲の男女に「私はこれを読み切った!」と自慢できる作品を聞いて回るわけです。

さまざまな人がさまざまな本を挙げます。哲学書や長編時代小説(全20巻!!)、作家の全集などなど。ある人の「他の人たちは何て言ってるんですか?」との問いに「今のところ……量にこだわる人、状況にこだわる人、苦痛にこだわる人……」と答える吉野さん。彼女自身の“読み切った自慢”はジョルジュ・バタイユ作品だったらしく、最後に「うわー若いっ!! 若すぎるーーーっ!!」と自分で自分に突っ込んでいました。

え? 私の“読み切った自慢”ですか? そうですね、あえて言うならヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』でしょうか。新潮文庫版で全5巻。巻によってページ数のばらつきはあるものの、どれも400ページ超え。かなりの長編ですが、全世界で舞台上演されて、2012年にはヒュー・ジャックマン主演で映画化もされたミュージカル版「レ・ミゼラブル」にはまり、全5巻の大作に挑んだわけなんです。

驚いたのは、5巻目(第五部)の第二章。「巨獣のはらわた」というタイトルで延々とフランス・パリの地下に張り巡らされた下水道についての蘊蓄が繰り広げられたこと。これは、主人公のジャン・バルジャンが、パリで起きた市民の暴動の中から娘の恋人を助け出し、下水道を使って逃げる話にからめているんですが、それにしても下水道について30ページ近く費やして説明しているんですから、長いですよね。たぶん読み飛ばしても、作品の大筋は掴めます。でも、きっと、『レ・ミゼラブル』を真に理解するためには、読まなければいけないんだろうと、はやる気持ち(早く物語の先を読みたいという)を抑さえて、読みましたよ、ええ。

吉野朔実さんのこのエッセイ集を読み直していたら、読書欲が高まってきてしまって、またつい長話をしてしまいました。本への愛に満ちた『吉野朔実劇場ALL IN ONE 吉野朔実は本が大好き』からフランスを舞台にした『レ・ミゼラブル』へ。仏産赤ワインでも飲みながら、お客様の思い出の本の話などうかがいたいですね。どうぞ今夜もごゆっくり。

【今回紹介した本】
吉野朔実『吉野朔実劇場ALL IN ONE 吉野朔実は本が大好き』(本の雑誌社 2016年刊)

『少年は荒野をめざす』や『ジュリエットの卵』などで知られる漫画家・吉野朔実が「本の雑誌」に長年にわたって連載したコミックエッセイの集大成。古今東西のさまざまな作品をユニークな視点で紹介している。吉野さん曰くこれは「本にまつわる日常」だそうで、一部の本についている紐状の栞について考えてみたり、「フランダースの犬」の結末はどうあるべきなのかについて周囲と議論してみたり、本好きなら思わず「あるある」と頷ける作品集。

文:R