「あっ、ボク知ってます、これ」
英文科に通うヤツは、
そう言って一瞬ニヤッと笑った。
「なんだよ、これ」
「さて、なんでしょう?」
「おいおい、知ってるなら教えろよ」
「うーん、先輩にはまだ早いかなー」
「はっ?」
ヤツの指から紙切れを引ったくり、
ゴロンと芝生の上に寝っ転がった。
寒くなりはじめたこの季節、
芝生に寝っ転がって浴びる
陽射しの温もりはいいもんだ。
アパート近くで見つけた、目白台運動公園。
ここの芝生は寝っ転がって昼寝するのに
うってつけだった。
でも、きょうは気になって昼寝もできない。
「なんだ、これ?なんかの暗号か?」


“b/c 143”

 

大学の図書館で借りてきた一冊の本。
この紙切れはその本に挟まっていた。
見たこともない、英語と数字の羅列。
なにかに走り書きされたものだった。
「でも、誰なんでしょうねー。
 そんなものを本に忍ばせるなんて
 ロマンティックなことをする人は」
「ロマンティック?」
「そうですよー。あっ、これ、
 結構大きなヒントですよー」
ヤツと出会ったのは、1年ほど前。
友だち主催の飲み会に参加した時、
偶然、隣に座ったのがヤツだった。
特段に意気投合したわけでもなかったが、
それから何度か顔を合わせる機会があり、
人懐っこいヤツの性格に絆されるように
先輩と後輩のような間柄になっていった。
いまやヤツは、時にはこうやって、
芝生に寝っ転がって昼寝する俺にも
付き合うようになった。
「分かんねぇよ、他にヒントないのか?」
「そうですねー、じゃ、その“b/c”は、
 Bで始まる英語の略です」
「B?Band?」
「Cはどこいっちゃったんですか?」
「あっ、そうか。Bで始まってCが入るのか。
 うーん、難しいなー。Blackか?」
「違います」
ふっとそよいだ風に乗って
グランドで野球に励む
少年たちの声が聞こえた。
「Baseball、か」
「いま、聞こえたからでしょ?」
「バレたかー。B、B…」
あれこれ悩む俺の顔を、
なぜかヤツは楽しそうに見つめていた。
「なに見てんだよ?」
「いや、頭を悩ます先輩の顔もいいな、と」
「なんだよ、それ」
「じゃ、ヒント。最初の発音は“ビ”です」
「“ビ”?ビール?」
「ビールじゃなくてBeerです」
「発音はどうでもいいだろうが」
おちょくられてるとしか思えない。
答えを教える気があるんだろうか。
「先輩は、この“b/c 143”という言葉が気になる。
 なぜなら…」
「なぜなら…なぜなら…、あー、Becauseか!」
「はい、正解でーす!」
「Becauseとロマンティックって関係あるか?」
「その後の数字に意味があるんです」
コロコロと小さなゴムボールが転がってきた。
ヤツはゴムボールを拾い、
走り寄ってきた子どもにそっと渡した。
この公園には、近所の親子連れも多い。
芝生の上では、ほかにも子どもたちが
楽しげにはしゃいでいた。
「いいですよねー、
 お父さんやお母さんと一緒に遊ぶ子どもの姿って。
 あの子どもなんて、まさに143の賜物ですよねー」
「なに?」
「あんな嬉しそうな顔して、4されてるからでしょうね」
「はぁー」
なにを言っているのか、まったく分からん。
「あの子がなんであんなに嬉しそうな顔をしているか
 わかりますか?」
「遊んでもらっているからだろうが」
「親が遊んであげているのは、
 子どもに対するなにがあるからですか?」
「…愛、か?」
「そう。で、愛を英語で言うと…」
「Love」
「そう、それが4です」
「どういうこと?」
「頭の中でLoveって書いてみてください」
「L、o、v、e」
「何文字ですか?」
「4文字…あっ、そういうことか!」
「じゃ、Because なんとか Love なんとかで
 聞いたことあるようなフレーズは?」
「Because…Because…I love You?」
「そう、Iは1文字、Loveが4文字、
 Youは3文字。だから143」
「で、Becauseの略がb/cだから“b/c 143”ってことか」
「そういうことです」
「はぁー」
「元々、Because I love Youって書くのが
 めんどくさいから略されたって聞きました」
「なるほどねー」
これで、あの紙切れの謎が解けた。
そういうことだったのか。
芝生に寝っ転がったまま、
うーんと手足を伸ばす。
考え疲れた頭と体を、陽射しの温もりが包む。
「ね、ロマンティックでしょ?」
「んー?」
陽射しの温もりというのは、
疲れた頭と体を眠りに誘う。
「だって、この紙切れを入れた人は、
 誰かにb/c 143って伝えたかったんですよ。
 もちろん、次にその本を手にするのが
 誰だかなんてわからない。
 しかも、この意味がわかるかどうか、
 そんなこともわからない。
 それでもいいんですよ、きっと。
    b/c 143Because I love You、だから。
 愛しているから、大丈夫。
 あなたは誰かに愛されているから、大丈夫って。
 その思いが、いつか誰かに届けばいい、
 答えなんかいらない、
 b/c 143、それだけでいいんです。
 だからね、それは…」
途中からヤツの言葉は遠くに霞んでいた。

 

それからどのぐらい経ったのだろう。

 

カーン。

 

乾いたバットの音。
子どもたちの歓声。
ホームランか、俺の夢か。
虚にそう思った瞬間、
唇に温もりを感じた。

 

ハッ、と目が覚める。

 

「そうして王子様は、
 お姫様のキスで目覚めたのでしたー」
「キスって、お前…」
慌てて唇を拭う俺をよそ目に
ヤツは満面の笑みを浮かべた。
「これが僕の“b/c 143”です!」
「おいっ!」
捕まえようとした俺の手をすり抜け、
ヤツは子どものように“あっかんべーをひとつ。
そして、嬉しそうに走っていった。
「ふざけんな!ちょっと待て!」
追いかけようとして、ふと我に返った。
僕の“b/c 143”?どういうことだ?
キスをしたのは“愛しているから”?
って、おい、まさか……。

 


そう、それからの話は、これからの話。
俺らのストーリーは、まだ続いていく。

Because I love You

文:けいたろう