BB坂ノ途中 変態読書のススメ

第42回 笑えるか笑えないか、それが問題だ

いらっしゃいませ。

ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。

ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日は、最近猫を飼い始めて母性&父性本能に目覚めたKが店番です。

そういえば世界経済フォーラムが発表した男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数で、日本が156カ国中120位という不名誉な結果となったことが話題になってから1年が過ぎました。発表当時は日本でも各方面で議論が展開されたようですが、その後、少しは改善したんでしょうか? なぜこんな真面目な話をしたかと言うと、先日『定年オヤジ改造計画』という小説を読んで、日本でジェンダー・ギャップを埋めるのは難しいんだろうなと少し絶望的な気持ちになったからです。

絶望したとはいえ、この本は決して暗い話でも読後感が悪い話でもありません。むしろ、読んでいる間に何度も笑ってしまうような内容です。たとえば、この物語の主人公で大手石油会社を定年退職した庄司常雄が妻の十志子とラジオを聞いている場面。ある男性小児科医が「昔のように、我が子に真の愛情を注いでいる母親が、昨今は少なくなったように感じますね」とコメントし――。

「くだらない」
突然、十志子が吐き捨てるように言った。
「何がくだらないんだ?」
「赤ん坊や子供をたくさん診てきたといっても、所詮は診察室でのことよ」
「そりゃあ、そうだろう。それがどうした?」
「たぶん一日二十四時間ずっと赤ん坊と一緒に過ごした経験なんてただの一度もないのよ」
「当たり前だろ、医者として忙しく働いているんだからさ」
「一週間でいいから、誰の力も借りずに赤ん坊の世話と家事を一人でやってみてもらいたいわ」
「そりゃ無理だよ。一日中暇を持て余している主婦とは違うんだから」
 十志子がいきなりラジオのスイッチを切った。
 どうしたのだろう。怒ったのか? だとしたら、何に対して?
 十志子の横顔からは何も読み取れない。

『定年オヤジ改造計画』垣谷美雨著(祥伝社)より

もし、お客様がこれを読んで笑えたら、日本のジェンダー・ギャップ指数がなぜ低いのか、その原因がおわかりかと思います。反対に笑えなかったら少々問題かもしれません。

このように主人公の常雄は、ザ・昭和といった価値観の持ち主で、妻や娘、さらには息子やその妻とも会話がかみ合いません。家庭のことを一切やらない常雄に妻が、あなたには専属の家政婦がいて羨ましいと言った時も―――。

十志子は何が言いたかったのか。俺には家政婦がいるけど、十志子にはいないとはどういうことなのか。俺が寝たきりになったら十志子が面倒を見てくれるが、十志子が寝たきりになったら面倒を見てくれる人はいないということか。そんなことはない。ヘルパーを雇うなり、施設に入るなりすればいい。もちろん男の俺には介護なんて無理だ。

『定年オヤジ改造計画』垣谷美雨著(祥伝社)より

何かにつけて「男なんだから」「女なんだから」と役割を分担しようとする常雄。息子夫婦に孫の面倒を頼まれオムツ交換をしなくてはならなくなった時も、妻に「男には無理なんだ」と世話を押しつけようとしたり。その時の話を食事中の娘に語ってきかせたところ、妻から「食事中なんだから、やめてください」と言われ、それに同調した娘に――。

「お前も女だろ。赤ん坊のウンチの話で気持ち悪がってどうするんだよ。全く最近の若い女は母性本能ってものが欠如してるよ」

『定年オヤジ改造計画』垣谷美雨著(祥伝社)より

と真顔で言って妻と娘を呆れさせたり。とにかく常雄は「女は生まれた時から母性本能があるもの」で、だから女は家庭を守るのが当然、母性本能のない男性には育児や家事をするのは無理、という考えの持ち主。そんな時代錯誤な定年オヤジの浮世離れした言動がコミカルに描かれていて「いるいる、こういう人」と笑ってしまったんですが、少ししてから、ふと恐ろしくなったんです。こうして本の題材になるということは、私と同じように「いるいる、こういう人」と共感できる人が多いと出版社が見込んだということ。しかも、今年の夏にはドラマ化されるそうです。つまり、日本には女が子育てや介護をするのは当たり前、母性本能があるから、おむつ替えも苦じゃないだろうと、本気で思っている人がたくさんいるということではないでしょうか。だとしたら、日本のジェンダー・ギャップ指数の順位が上がらないのも当然と言えるかもしれません。

かといって、いくら国が順位を上げようと頑張ったところで、常雄のように何が悪いのか無自覚な人の心には響かないでしょうね。それよりも、この小説を多くの人に読んでもらう方が、よっぽど手っ取り早いのではないでしょうか? もしこの小説を読んで笑えたら、ぜひ周囲の人に勧めてみてください。そして勧めた相手が何がおかしいのか分からないと言ったら、ジェンダー・ギャップとはなんぞやということを、ぜひ教えてあげてください。え? もしあなたが笑えなかったら? その時はもう一度、このバーにご来店ください。あなたにお勧めの別の本をご紹介します。

今日は男性でも簡単に作れるおつまみ、茹でスナップエンドウをご用意しました。といった言い方はダメですね。誰でも簡単に作れて、読書しながらでも簡単につまめますから、本を読みながら楽しんでください。

【今回紹介した本】
『定年オヤジ改造計画』垣谷美雨著(祥伝社)

大手石油会社を定年退職した庄司常雄。夢にまで見た定年生活のはずが、良妻賢母だった妻は「夫源病」を患い、娘からは「アンタ」呼ばわり。気が付けば、暇と孤独だけが友達に。そんなある日、息子夫婦から孫二人の保育園のお迎えを頼まれて……。定年化石男、離婚回避&家族再生を目指して人生最後のリベンジマッチに挑む、ユーモアあふれる問題作。

文:K