BB坂ノ途中 変態読書のススメ

第35回 最近、手紙を書きましたか?

いらっしゃいませ。
ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。今夜は小さい頃大好きだった本をシリーズで大人買いしたRが店番です。

あっと言う間に新しい年が始まって半月が過ぎました。普段手紙なんて全く書かないのに、新年の年賀状のやり取りだけは細々と続いています。でも最近は、年賀状は今年から出しませんなどと宣言する方も増えているようですね。そもそもお年玉付き年賀葉書は、戦争で消息の分からない人の近況を知るという目的で始まったものだそうなので、年賀状を出す人が減っているのも、時代の流れと言うべきか…。

手紙と言えば、本のジャンルと言っていいのかどうかわかりませんが、「往復書簡」というものがあります。ふたりの人物による手紙のやり取りを1冊にまとめたもの。先日亡くなった瀬戸内寂聴さんも新聞連載で美術家の横尾忠則さんと手紙のやり取りをされていて、それが本になっています。手紙というのは、本来プライベートなものなのに、読者を想定してやりとりされるというのが「往復書簡」本の興味深いところですね。

お互いのことをよく知ったふたりによるものかと思えば、全く面識のないふたりによる往復書簡もあります。作家の辻邦生氏と水村美苗氏による『手紙、栞を添えて』(朝日新聞社)もそんな1冊。1通1通の手紙にさまざまな本について語られているので、その手紙で取り上げた本に「栞を添えて」となっているのです。

『西行花伝』を読んでいるときです。今とここを遠く離れ、雅やかでも怖ろしくもある世界に連れてゆかれるうちに、私は子どもの頃に還って本を読んでいるような錯覚に陥りました。両手で支えるにも重たいご本だったせいもあるかもしれません。不意に、記憶に熱くよみがえったのが、なんとなんと吉川英治の『宮本武蔵』です。
不敬罪に問われるのは覚悟です。でも、『宮本武蔵』は、私にとって実に懐かしい本なのです。なにしろハイスクール時代、年に一度は儀式のように読み返したのです。

(辻邦生、水村美苗 著『手紙、栞を添えて』朝日新聞社 より)

上記は水村氏の手紙で、辻氏の作品『西行花伝』を読みながら『宮本武蔵』を思い出したという内容です。宮本武蔵といえば男性のイメージですが、12歳という年齢で親に連れられてアメリカに渡った水村氏にとっては、故郷日本への憧れと同時に300年以上前の日本という目に見えないものへの思いがかき立てられ、血が沸き立つような(剣豪小説ですし)作品だったのでしょう。

しかしそれだけでは、こんな嬉しさは感じなかったでしょう。やはりそこに、『西行花伝』から『宮本武蔵』の読書の思い出に移ったというすばらしい転調の妙があったからです。(中略)なぜならそこに、まさしく文学の、というより読書の、本質に触れるものがあるからです。『宮本武蔵』を「ハイスクール時代、年に一度は儀式のように読んだ」ということは、実はそれが、幼少期にのみ私たちに訪れる読書の祝祭であったということに他なりません。

(辻邦生、水村美苗 著『手紙、栞を添えて』朝日新聞社 より)

こう辻氏が指摘するように、子どもの頃に読んだ本は、私たちにとって特別な意味を持つように、最近ますます感じるようになりました。水村氏の「『若草物語』を読んだことがありますか?」という問いかけに辻氏は、子どもの頃自宅近くの児童図書館で本を読みふけった思い出を紹介しながら、「ごく幼少期の物語への惑溺(中略)、こうした生の秘密に似た読書は十三、四までで、その後の読書は魂の形成よりは知的形成に向かっていきます」と答え、『若草物語』は幼い頃ではなく、その後の知的形成に向かう「教養的読書」によって読んだことを残念そうに語っています。

このふたりの熱の籠もった読書遍歴を往復書簡で目にすると、どれも片っ端から読みたくなってしまいます。とはいえ、残念ながらもう私にとってもそれは「教養的読書」でしかないのですが。今夜は、フランス文学に造詣の深い二人の著者にちなんでワイン…といきたいところですが、ワイン用葡萄を使って醸造したビールが手に入ったんです。葡萄とホップのマリアージュを楽しみながら、子どもの頃、夢中になった本についてお話ししませんか? どうぞごゆっくり。

【今回紹介した本】
辻邦生、水村美苗 著『手紙、栞を添えて』(朝日新聞社 1998年刊)

小説家であると同時に、文学研究者として大学などで教鞭を執ったふたりの文学者による往復書簡。幅広い読書経験から、古今東西バラエティ豊かな作品を紹介しながら、愛のある解説を行う。面識のないふたりだからこそ、かえって言葉に力が宿ると言える深い考察に基づいた書簡集。初版は朝日新聞社刊。その後、朝日文庫、ちくま文庫と文庫化。

文:R