いらっしゃいませ。
ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。今夜は変態的な作家が大好きなＫが店番です。
ついこの間、年が明けたと思ったらもう新年度ですよ。年をとると時が経つのを早く感じるようになると言いますが、それが年のせいではなくて本当に時間の経過が早くなっているとしたら、どうします？
妙なことを言ってすみません。実は最近、そんな小説を読んだんですよ。作家、筒井康隆さんのナンセンスな短編を集めた『最後の喫煙者』という本に出てくる「急流」というお話です。世界中で、時間の経つのが徐々に早くなっていくんです。最初はいつも通りに家を出たのになぜか数分の遅刻をしてしまうといった違和感から始まったものが、月日が経つにつれ時間経過のスピードが早まり、数ヶ月後には定時に会社に到着するには4日前に家を出ないと間に合わなくなっている……なんていうナンセンス小説です。
馬鹿馬鹿しいですよね。私も最初はなんて荒唐無稽な話だろうと笑っていたんですが、ふと笑えないかもしれないと思ったんです。ちょっと話が飛躍しますが、たとえば旧石器時代は前期・中期・後期があって、前期は400万年前から20万年前まで。つまり380万年の間、人はほぼ変わらぬ生活をしていたんですよね。きっとその頃の人たちの生活はのんびりしていたんじゃないでしょうか。それが中期は16万年間、後期は2万7千年間と、どんどん暮らしの変化のスピードが速まって、今は100年どころか、50年もしないうちに人間の生活様式はガラッと様変わりしています。たった150年ほど前には、ちょんまげをした人たちが歩いていたんですからね。小説の中にこんな一説があるんです。
時間というものが定められ時計が発明されてから、時間は人間の上に乗っかり、歴史は急に速度を早めたのだ。そして今になって、人間はそのスピードが恐ろしくなった。公害だの何だのと言って、進歩に急制動をかけようとした。そこで歴史と共に駈け続けてきた時間が、人間だけを取り残して自走しはじめた。
科学が進歩して人が世界中を簡単に行き来できるようになったことで、今私たちを悩ませているウイルスが広まるスピードも速くなってしまったことを考えると、「急流」は未来を予言、風刺した笑えない小説なんです。
この本の表題作「最後の喫煙者」も同じです。愛煙家である主人公の作家は、世の中の嫌煙運動に抵抗しているんですが、徐々に運動は過激になっていきます。新幹線の喫煙車両は掃除もされず、窓はすすけ、トイレはくみ取り式。そんな馬鹿な話はないので笑えますよね。でもやがてK・E・K（嫌煙権）団という三角の白い覆面をした団体が夜な夜な煙草屋に火をつけてまわり、ついには喫煙者狩りという名の私刑が横行する、というこれも笑えない話です。この話が発表されたのは1987年。嫌煙という言葉が日本でもようやく出てきた頃ですが、まだまだ喫煙者には寛容な時代でした。私がアルバイトをしていたある週刊誌の編集部は2000年以降も自席での喫煙が可能で、夕方ともなると編集部の部屋の上半分は煙が充満して、5ｍ先が見えないほどでした。バイト帰りに友だちに会うと「煙草くさい！」と嫌な顔をされたものです。
それが今や職場はもちろん飲食店での喫煙は基本的に禁止、新幹線や飛行機でも喫煙はできなくなりました。さすがに喫煙者狩りなんていう物騒なことにはなっていませんが、昨日まで当たり前だったことが、ある日を境にひっくり返され、ネットなどでつるし上げられるといったことは、現実におきていますよね。
こんな未来の様子を30年以上も前に描いていた筒井康隆という作家はすごいと思います。
是非読んでみてくださいと言いたいところですが、なんと言っても天才にして奇人変人の筒井康隆氏の作品ですから、読む人を選ぶと思います。時にはエロ、グロ、暴力、差別用語も飛び出す危険な本なので、あえてオススメはいたしません。自己責任でお願いいたします。
筒井康隆氏といえば作家ですが、芸能事務所のホリプロに所属していることでも有名で、以前はよくメディアにも登場されていました。確か某ビールのCMに裁判官役として登場していましたっけ。天才筒井康隆氏に敬意を表してビールで乾杯といきますかね。
【今回紹介した本】
『最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集1』筒井康隆／新潮文庫
小松左京、星新一と並んで「SF御三家」と言われる作家·筒井康隆が自ら選んだドタバタ傑作集の第1弾。究極のエロ・グロ・ナンセンスが炸裂するも、計算され尽くした職人技とも言える筆致は、中毒必至。ちなみに、書籍の紹介文には「ドタバタとは手足がケイレンし、血液が逆流し、脳が耳からこぼれるほど笑ってしまう芸術作品のことである」とある。心臓の弱い方、スプラッタが苦手な方、皮肉が嫌いな方にはおすすめいたしません。
文：Ｋ