いらっしゃいませ。
ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日は今年こそ整理して本棚をひとつ減らそうと思っているRが店番です。
新しい年が始まりましたね。まだ2021年という年であることに感覚が慣れなくて、あれは去年? それとも一昨年のこと? なんて1月ももう半ばだというのに時間軸がずれたままです。2020年が何の記憶も残さないほど、あまりに早く風のように通り過ぎて行ってしまったからかもしれません。せめて日記でも書いていれば、何もなかったかに思える20年にも何か爪痕を感じることができたのでしょうか。
日記と言えば、私は日記文学のようなものが好きで、『○○日記』とタイトルにある本をついつい集めてしまいます。自分でも何故日記に惹かれるのかよくわかっていないのですが、本棚を探ると古いものから新しいものまでいろいろ出てきて、よくもまあこんなにあるなと驚くことも。
日記文学として、有名人の愛読書などによく名前があがるのがこの『富士日記』。昭和の文豪・武田泰淳の妻・百合子が、夫と過ごした富士山麓の別荘での13年間(1964~1977)をつづったものです。日々の天気、食事、買ったもの(食品など)や、誰が訪ねてきたとかどこに行ったとか。夫が作家なので、書き上げた原稿を列車便に出しに行くなどの特殊な仕事はあるものの、あまり普通とは変わらない、なんということもない日常なのですが、なぜ人の心を引きつけるのでしょう。
たとえば、
次に石油ストーブ屋に寄る。真っ赤な顔をした若い男が三人。事務机に向かって四角い弁当箱をひらき、顔だけこっちに向けて、口に頬張ったまま返事をする。お弁当がおいしくておいしくて噛みしめているので、一刻も席を立ちたくない様子なので、私は遠くの入口から大きな声で、どこが悪いかを説明し、明日までに直してくれるように頼む。
(武田百合子『富士日記 上』中公文庫より)
弁当に熱中し客にもろくに対応しない相手に腹を立てるのではなく「お弁当がおいしくておいしくて噛みしめているので、一刻も席を立ちたくない様子」とさらりと描写するところに著者の飄々とした性格を感じます。
かと思えば、河口湖畔の花火を見に行き、終わったので車を停めたところに戻ると、その車のせいで自分の車が出られないと怒っているガラの悪そうな若者がいる。そんな彼に「花火見にきてのんびり歩いて何が悪い」と啖呵を切り、その後、
花子は「おかあさん、ほんとは私たちも少しわるいね。遅く帰ってきたからね。あの男の人ヤクザのおにいさんでしょ。おかあさんがぶたれたら負けるよ」と、車に乗ってから小さな声でいった。私は気分が少し高揚して「ぶちにきたら、卵全部投げつけて、それから車のチェーン出してふりまわしてやろうと思って」とうちあけた。
とつづります。
ちなみに、この「花子」とは夫婦のひとり娘。百合子は誰かの車の前に自分の車を停めているのにもかかわらず、花火を見た帰りにのんびり卵を買っていたというわけ。この歯に衣着せずはっきりとものを言うところからは、百合子の力強さやたくましさが窺えます。実は、彼女に山荘にいる間は日記を書くようにと勧めたのは夫の泰淳だったのだとか。泰淳は、妻の観察力の鋭さや人間力を一早く見抜き、昭和の日記文学の大作への道筋をつけたのだから、まさに慧眼ですね。
日記を読んでいると、何気ない日常がなんとも言えず愛おしく思えてくるのが不思議です。今のような、こんな閉塞的な日々だからこそ、一刻一刻をきちんと愛おしみながら、日記につづるように生きていくことが大事なのかな…なんてね。あ、なんだかちょっと説教臭いこと言ってしまいました、すみません。お詫びと言っては何ですが、20年のボジョレーヌーボー、実は飲みそびれていたのを今夜開けようかと思っていたんです。お付き合いいただけませんか? 20年はどんな年だったのか、ボジョレーで記憶に留めましょう。どうぞ今夜もごゆっくり。
【今回紹介した本】
武田百合子『富士日記(上)』(中公文庫 1981年刊)
夫・武田泰淳と娘・花子と過ごした13年間にわたる富士山麓での暮らしを独特の感性と、そして天衣無縫の文体でつづった日記。昭和52年田村俊子賞受賞作。
文:R