いらっしゃいませ。
ようこそBook Bar 坂ノ途中へ。
ここは、編集者RとKのふたりが営むバー。本日はなかなか本の断捨離ができないRが店番です。
あっと言う間に今年も残すところ10日。毎年もう11月の声を聞くぐらいから、出版に携わる人々には「年末進行」という鬼のようなものにお尻を叩かれ、お正月休みまで怒濤の日々を過ごすものなのです。年末年始休みをとるために、すべてを前倒しで進めておくってことなんですけど、なかなか大変でして。
この「年末進行」という言葉もそうですが、出版界には独特の慣習や言葉遣い、単語のようなものがあって、一般の人も知っているだろうと業界人が当然のように使うことに私自身違和感を覚えることがあります。たとえば「重版出来」なんて言葉も、あのドラマ化もされた人気漫画『重版出来』がなければ、「出来」を「しゅったい」と読むことを知らない人は多かったでしょう。
それから「新書」という本のカテゴリをご存じですか。文庫本より縦の長さが長い「新書判」と呼ばれるサイズで作られた本のことで、岩波新書、講談社新書などが有名です。専門的・学術的な内容を初心者にもわかりやすく説明した入門書などが多くこのサイズで出されていますが、以前、新書を新しい本、つまり新刊のことだと思っている人がいて、驚いたことがありました。
ところで、お客様は本を買った時、本についている帯はすぐに外してしまうタイプですか? それともつけておきますか? カバンの中に入れて持ち運んだり、本棚に収めていても隣どうしこすれ合って破れてしまったりしますから、取ってしまうという方も多いかもしれないですね。この帯だって考えてみたら不思議なものです。
この本につける帯は、一説によると海外にはなく日本独特の出版文化らしく、昭和初期に左翼系の出版物の宣伝効果を狙ってつけるようになったとも言われているのだとか。たしかに、思わず手にとってしまうような煽りの文句が踊っている帯が多いですよね。でも、中には変わった帯もあるんですよ。帯と言えば、普通は本の下部、3分の1から4分の1ぐらいの幅のものが多いんですが、この本、2分の1よりも幅広いです。しかも、本の内容を象徴する絵や写真が帯についている。帯を取ってしまうと、何とも素っ気ない本になってしまうのでこれは帯ありきの美しいデザインだなと思います。
あ、またついつい喋りすぎました。そう、今夜は何をお飲みになりますか? 実はこの本のタイトルにもなっている“アブサン”を仕入れてしまったんです。アブサン、ご存じですか? その昔、中毒・依存症になる人が増えて、欧米では100年間ほど製造・流通・販売が禁止されていたお酒です。中毒になった有名人の中にはあの画家・ゴッホの名も。その主原料であるニガヨモギというハーブに含まれるツヨンという成分が中毒性の要因と言われ、その含有量を抑えることで禁止が解かれ、今ここにあるというわけです。
パクチーと同じで、好きな人は好きですが、青臭さが苦手な人はちょっと抵抗あるお酒かもしれませんね。でも、はまると癖になる味だと思います。口の中いっぱいに広がるハーブの香りを楽しみながらこの「アブサン」を読むと、まるで夢のような情景が広がるはずです。20世紀初め、プロヴァンスの村でひとりアブサンを蒸留する男。そこを頻繁に訪ねる一家。淡々と事実が語られていく中で、どの話がどこにどう繋がるのか。アブサンの酔いの中でこそ花開く物語なのではないでしょうか。
ちなみに、アブサンはアルコール度数が高くこちらは68度もありますから、水やソーダ、トニックウォーターなどで割るのがお勧めです。アブサンスプーンという専用のスプーンがあって、その上にアブサンを浸した角砂糖を載せ火をつけてアルコールを飛ばしてからアブサンに投入して飲むのも通の飲み方なのだとか。今夜もどうぞごゆっくり。
【今回紹介した本】
クリストフ・バタイユ『アブサン 聖なる酒の幻』(集英社 1996年刊)
1871年2月。普仏戦争末期、雪降るスイス国境近く。孤立するフランス軍兵士は毒の花びらを吸いながら戦闘を続け、ほとんどは命を落としたが、死者のまなざしには奇妙な喜びが浮かんでいた…。そのあまりの魔性ゆえに禁止され埋もれていった禁断の酒アブサンを巡る幻想的な物語。
文:R