つたえる

文京回想録その2 ~文京区後楽編~

モグラと悪党は好んで地下にもぐる。
好むと好まざるにかかわらず、眩しさにはとことん弱いのだ。いや本当に。

その一方、まばゆい存在である正義のヒーローはというと、陽の当たる場所を堂々と闊歩しているのかといえば決してそうでもない。

いま、会いに行けるヒーローは地下にいます、はい。

 

というわけで後楽園のお話。

だいたいの想像はつくと思うけれど、小さい子供(男の子はとくにだ)はとにかく特撮ヒーローの類に目がない。視界に捉えれば心は弾み、ネズミを見つけたときのノラ猫みたいに体が自然と小躍りしてしまう生き物なのだ。
ご多分に漏れず我が家もそういう状況だった。大体の結末は、ヒーローごっこがエスカレートした挙句に妻が途方に暮れる   あるいは“おかんむり”になる   というのがお決まりのパターンとなっていたから、持て余したエネルギーを余すことなく発散してもらうためにときどき後楽園ゆうえんちのヒーローショーに子供を連れ出した。

お出かけ先では大人たちも往々にして普段より寛容だし、元気を温存する必要のない子供たちは満足いくまでそのあらん限りを絞り尽くす。
子供とはいえ何かに夢中になっている人間は輝いて見えるものだ、などとずいぶん感心したものである。

余談だけど、家庭の平和と秩序を守るために休日の午前中から小言ひとつ言わず長い行列に並んでいると、いったい誰が本当のヒーローなのか分からなくなってくるものである。
言うまでもなく家族は誰も気づいてくれなかったけれど。

 

思えば私も幼い頃、父親に連れられてたびたび後楽園を訪れていた。
目的はヒーローショーではなく野球観戦だったけれど。

父は熱狂的な讀賣ジャイアンツファンで、試合に勝てば子供みたいにはしゃいでいたし負ければこの上なく不機嫌になる典型的な野球好きのオヤジだった。
普段はあまり感情の起伏を表に出さない人だったけれど球場にいるときの彼の表情はとてもバイタリティに溢れていて、ルールすらよく分かっていなかった私も思わずつられて一喜一憂していた。
そんなふうに夢中になっている彼は、やはりどこか普段より輝いて見えたような気がする。

今になってぼんやり分かってきたことだけど、あの頃のジャイアンツの選手たちは父にとってヒーローそのものだったのだと思う。好きな選手に自分の姿を重ねて、グラウンドを駆け回っている姿を想像したりして楽しんでいたのかもしれない。
父を擁護するわけじゃないけれど、誰しもそういう妄想めいた部分って持ち合わせているんじゃないかと思うんだけど、どうでしょう。

 

 

後楽園でひとつ、忘れられない光景がある。

ごく短い期間だけど、ここには後楽園スタジアムと東京ドームが同時に存在していた時期があった。二つの物体が並ぶ光景は巨大な宇宙船が地上に降り立つSF映画を思わせ、それが目の前に実在しているみたいで私は文字どおり口をあんぐりさせながらその光景をしばらく眺めていた。

同時に、解体されることが決まっていた後楽園スタジアムのことを思うとなんとなく不憫な気持ちにもなった。
過去が未来に押しのけられていく様子を見て見ぬふりしている自分に、そして未知の存在から漂う色気のようなものに抗うことなく魅了されていく自分に、多少の後ろめたさを覚えた。

はからずも、ほどなくして昭和の時代が終わって新しい時代を迎えることになった。
まるで後楽園スタジアムの解体終了がその合図だったかのように。

偶然の一致か、それとも運命の合致か。
あるいは単なるこじつけに過ぎないのかもしれないけれど、あの光景は時代の移ろいを象徴する余熱みたいなものとして私の記憶の中をふわふわと放浪していて、たまに気が向くと顔をのぞかせる。
気のいい親戚の叔父さんがふらっと訪ねて来るみたいに。

 

あれから30年、新しい時代だったはずの平成がもうすぐ終わろうとしている。ゆっくりとだけど確実に。
そのせいか、ついあの頃を思い出す。今ほど便利ではなかったけど、あれはあれでなかなか良い時代だった。今より楽しかったかと聞かれると…いくぶん答えに窮するけれど。

 

 

 

【ひとりごと】
モグラは人間の飼育下だと1年弱しか生きられないらしい(脂肪肝になるそうです)。
ヒーローも悪役も1年経てば強制的に降板しなければならないし、生き延びるってけっこう大変なことだ。

うーん、なかなか世知辛いものである。